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催し物

岩手大学宮澤賢治センター 第95回 定例研究会(2017.7.21)

定例研究会

名 称: 岩手大学宮澤賢治センター 第95回 定例研究会
日 時: 2017(平成29)年7月21日(金)17:00~18:00
会 場: 岩手大学農学部1号館 2階 1号会議室
講 師: 小島 聡子 氏 (岩手大学人文社会科学部准教授・日本語学)
演 題: 賢治童話の言葉遣いについて──標準語と方言のはざまで──
司 会: 大野眞男(当センター代表)
参会者: 29名

★例会終了後、18:00~19:00 同階第1小会議室にて、希望者により情報交換会(ミニ茶話会)が開催されました。

【発表要旨】
 宮沢賢治の時代は、現代の「標準語」や口語体の書き言葉の形成・確立期にあたり、宮沢賢治の言葉遣いには、確立期ならではの「標準語」の揺れの中に方言の影響を見出すことができる。今回は、『賢治学』第4輯で取り上げた中から「ほしいくらい」について紹介する。
 『注文の多い料理店』の序文に「氷砂糖をほしいくらい持たないでも」という一文がある。
 「ほしいくらい」は「望むだけの量、十分に」というような意、現代なら「ほしいだけ」「好きなだけ」に当たると思われる。コーパス(現代日本語書き言葉均衡コーパス・日本語歴史コーパス)を利用して、「ほしいくらい」を調べてみると、近代でも現代でも当該例と同様の例は見当たらない。しかし、岩手県内ではこのような「ほしいくらい」は今も用いられ、学生たちのような若い世代にも通じる言い方として存在する。「望むだけ十分に」の意の「ほしいくらい」は、当時から岩手県周辺の地域独特の表現であった可能性が考えられる。
 さらに、宮沢賢治と同時期には、「好きなだけ」「ほしいだけ」も見当たらず、「好きなほど」「望むだけ」「望むほど」が、この意味で用いられた例がわずかにあるほかは、「思う存分」「思うまま十分に」の形が少しある程度で、「標準語」として確立された表現はなかったようでもある。
 形としては「ほしい」も「くらい」も地域独特の語であるわけではなく(恐らく「くらい」の用法が独特であるのだが)、「標準語」として確立された表現もないため、「ほしいくらい」が地域独特の言葉遣いであることに気づかず、「標準語」の文脈で用いていると考えられる。

▼小島聡子 氏による講演風景

岩手大学宮澤賢治センター第95回定例研究会チラシPDF