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催し物

岩手大学宮澤賢治センター 第100回 定例研究会(2018.7.20)

定例研究会

名 称: 岩手大学宮澤賢治センター 第100回 定例研究会
日 時: 2018(平成30)年7月20日(金)17:00~18:00
会 場: 岩手大学農学部1号館 2階 1号会議室
講 師: 佐藤 竜一 氏 (岩手大学教育学部特命准教授)
演 題: ベジタリアン宮沢賢治 ──その背景と作品── 
司 会: 大野眞男(当センター代表)
参会者: 31名

★例会前の16:30~17:00 同1号会議室にて、「宮澤賢治センター(岩手大学内)2018年度総会」が開催されました。

★例会終了後、18:00~19:00 同階第1小会議にて、希望者により情報交換会(ミニ茶話会)が開催されました。

【発表要旨】
 今回の講演では、1. 宮沢賢治がベジタリアンになった背景と、2. ベジタリアン宮沢賢治が反映された作品について発表しました。
 賢治は大正7(1918)年5月19日付保阪嘉内宛の手紙で、「私は春から生物のからだを食うのをやめました」と記し、ベジタリアンになったことを宣言しています。保阪は山梨県韮崎の出身、賢治が盛岡高等農林学校時代最も親しかった友人で、熱烈なトルストイアンでした。
 ロシアを代表する文豪・トルストイは1887年、59歳の時、肉食をやめ、ベジタリアンの道を歩みはじめます(鶴田静『ベジタリアン宮沢賢治』、晶文社)が、同年、ポーランドの眼科医・ザメンホフが発表した人工国際語・エスペラントの熱烈な支持者でもありました。ザメンホフはトルストイに、ベジタリアンエスペラント同盟の顧問を依頼しています。つまり、賢治は保阪を介してトルストイの影響を受け、ベジタリアンになり、エスペラントを独習するに至ったわけです。
 そのことが最も反映された作品が「ビヂテリアン大祭」で、この作品では登場人物にエスペラントを語らせようとしています。そのほか、「フランドン農学校の豚」「よだかの星」「なめとこ山の熊」などがベジタリアン宮沢賢治が反映された作品といえるでしょう。生物がより弱いものを食べて生きていくという食物連鎖に対する疑義を賢治は抱き、作品でそのことを表現しようとしたと推測されます。

岩手大学宮澤賢治センター第100回定例研究会チラシPDF