名 称: 岩手大学人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター 第5回研究会
(旧・岩手大学宮澤賢治センター第110回定例研究会)
日 時: 2020(令和2)年11月26日(木)17:00~18:00
会 場: 岩手大学 人文社会科学部1号館 2階 第1会議室
講 師: 栗原 文子 氏(文教大学大学院人間科学研究科付属臨床相談研究所・臨床心理士)
演 題: 大正六年、”宮古測候所”と賢治 ──『銀河鉄道の夜』「五、天気輪の柱」──
司 会: 山本昭彦(当センター長)
参会者: 24名
【発表要旨】
大正6(1917)年7月、盛岡高等農林学校農学科第2部三年生の賢治は、花巻町有志らによる「東海岸視察団」に加わって海路、三陸沿岸の町である釜石や宮古を訪ねている。宮古湾に視察団一行の船、「日出丸」が入港したのは26日午後4時10分頃といわれる。その時、賢治の眼に映ったに違いない建物がある。宮古湾頭、正面高台に建つ、明治35(1902)年新築の八角形・二階建ての白くモダンな木造建築“宮古測候所”である。すでに船上から賢治の眼は真っ先にこの美しい建物に注がれていたに違いないのである。
当時の視察団一行の様子は、岩手日報が、「風清く砂白き東の海岸へ」(大正6年7月28日から大正6年8月8日の記事(一)~記事(十))と題して大々的に記事を連載報道しており、どの記事にも現代の読者をも惹きつけるに充分な内容が活写されている。
とりわけ大正6年8月6日の記事(八)「繪に似たる浄土ヶ濱」は、実際に一行が見学した“宮古測候所”について、その外観の美しさのみならず、内部の構造、設置されている晴雨器や地震計器、頂上から望む風景、案内人・福井規矩三技手の人柄や態度にまで言及がなされている点で貴重であり、興味が尽きない。
今回の発表では、その記事(八)や宮古市立図書館所蔵の『ふるさとの想い出写真集』(国書刊行会、1979年、30頁)掲載の“宮古測候所”全景写真などを参照しつつ、『銀河鉄道の夜』の「五、天気輪の柱」の章に広がる風景と、ジョバンニの姿・言動を追いながら、「天気輪の柱」のイメージの由来が“宮古測候所”にある可能性を指摘した。
▼栗原 文子 氏による講演風景