メニュー

催し物

岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センター 第1回 研究会(=旧・岩手大学宮澤賢治センター第106回定例研究会)(2019.7.31)

定例研究会

名 称: 岩手大学人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター 第1回研究会
(旧・岩手大学宮澤賢治センター第106回定例研究会)
日 時: 2019(令和元)年7月31日(水)17:00~18:00
会 場: 岩手大学 人文社会科学部1号館 2階 第1会議室
講 師: 岡村民夫 氏(法政大学国際文化学部教授、当センター連携研究員/表象文化論)
演 題: イーハトーブで暮らした立原道造
司 会: 山本昭彦(当センター長)
参会者: 36名

【発表要旨】
立原道造は、1938年9月から10月、盛岡に滞在し、深沢紅子の実父の山荘「生々洞」で 暮らした。表向きの目的は結核の転地療養だったが、新たな「故郷」を見出し、文学的 新境地を開く野心を秘めた旅だった。本発表では、数度の盛岡滞在調査を通して得た資 料や写真を紹介しながら、立原の盛岡滞在の意義を、盛岡の地誌や都市形成の文脈にお いて考察し、合わせて宮沢賢治に対する彼の微妙な関係を浮かび上がらせたい。
「生々洞」から中津川沿いを散策すれば20分ほどで中心街にいたり、裏山(愛宕山)を 十数分登れば彼の第二の故郷だった信濃追分に通じる山並みや高原的雰囲気を満喫する ことができた。この絶妙な郊外的立地こそ、立原が盛岡に惚れ込んだ最重要条件だった と思われる。
立原は手紙で、賢治の詩風や地元の賢治崇拝に反発を覚えたことを手紙で述べている が、その一方で『宮澤賢治全集』を読みなおしてもおり、自分が「イーハトーブ」に踏 み込んだことを強く意識していたはずである。盛岡で書かれた手記や詩に賢治的なモチ ーフや語彙が目立つことが、その証しである。

▼岡村民夫 氏による講演風景

岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センター第1回研究会チラシPDF